生麩について

日本の伝統的な食材、生麩。生麩は、小麦粉に水を加えて練り、抽出したグルテンを餅粉とあわせて蒸したものである。生麩そのものに、味はない。しかし、この淡白さが塩や醤油、味噌などの調味料や鰹や昆布でとった出汁、そして山椒や胡麻といった日本古来の薬味と合わさることで、料理の旨みを引き出し、さらに味わい深いものにする。わかりやすい派手な味よりも、洗練された淡白さを愛する、そんな日本人らしい精神が表れた食材である。また、約60%以上が水分である生麩にとって、最も味を左右する原料は水だ。生麩は京都のものが最上とされるが、それは周囲を山に囲まれた京都の地形が、美味しい軟水を豊かに生み出すからである。

生麩の歴史は諸説あるが、14世紀頃に中国からグルテンを抽出する製法が伝わったとされる。はじめは肉食が禁じられていた僧侶たちのタンパク源として重用され、やがて禅の精神を汲む茶事に出される料理となる。近代以降は一般的な料亭にも広まり、庶民の舌を楽しませるようになった。今日では、ユネスコの世界無形文化遺産にもなった和食に欠かせない食材となっている。ちなみに中国の麩はグルテンのみを固めて揚げたもの。起源は同じながら、生麩は日本の文化の中で育まれた独特のものである。

生麩には青のりやよもぎ、あわを合わせたものなど様々なバリエーションがある。また、美しい色をつけて紅葉や銀杏の葉などを形づくり、四季折々の料理の飾りとして華やぎを添える。調理方法は、軽く焼いて味噌をのせたり、野菜や肉とともに炊いたり、揚げて出汁をかけるなど、どんな素材にも合う。また、餡を入れて饅頭にすればデザートにも。低カロリーで植物性タンパク質をたっぷり含み、脂質やコレステロールはわずか1〜2%という、理想的な健康食品である。

麩嘉は古くから京都御所にも麩を献上してきた京都を代表する麩屋である。しかし、その創業年は、正確には不明だ。というのも江戸時代後期の動乱の際、資料がすべて焼失してしまったからである。御所に出入りするための手形には慶応年間(1865−68)との記載があり、少なくとも今から150年前には都で名の知れた店であったことが伺える。現在の店主はそこから数えて7代目にあたる。

質素な精進料理であった生麩が、雅な京料理の素材として用いられるようになる過程で、麩嘉の貢献は大きい。寺院や茶道のためだけでなく、料亭からの注文にも柔軟に応じ、毎朝出来立ての麩を届けた。これによって京都の料亭では生麩を使った様々な料理が考案され、麩は京都を代表する食材のひとつとなった。麩嘉は、今日でも一般客への販売よりも料亭からの受注生産を主としている。

また特筆すべき麩嘉の功績に、生麩に芸術性をもたせたことがあげられる。麩嘉の職人は、生麩の特質を熟知することで様々な成形を可能にした。桜や紅葉、雪など季節の風物や、松や竹など吉祥のもの。美しく洗練された生麩は、季節感を大切にする京料理の添え物としても重宝されるようになった。

デザートとして楽しめる、生麩饅頭をはじめてつくったのも麩嘉である。生麩饅頭は自家製のこしあんを清々しい青のりの風味のする生麩で包み、笹で巻いたもの。これは生麩が好物であった明治天皇のアイデアでつくられるようになったという。今では京都を代表する菓子である。

約60%以上が水分である生麩にとって、最も重要な原料は水だ。京都の地下水は千年以上にわたって一定の味と温度を保っているため、他の軟水に比べて硬度が低く、よりまろやかで繊細な味わいが特徴である。素材の味を引き出すこの地下水があったために、京都では出汁を重んじる薄味の文化が生まれた。いわば京料理の原点である。水道が普及し、街から井戸が消えてしまった現代でも、麩嘉では「京料理とは京都の水でつくるもの」という使命を持って、地下水を汲み上げて生麩をつくっている。

毎日同じ原料を使っても、生麩の出来具合は日々異なると職人はいう。季節ごとに地下水に含む鉱物の量は微量ながら変わる。そんな水の違いや気温や湿度の違いを敏感に察し、それに合わせてつくるのが麩なのである。まさに自然のリズムをとりこんだ食品といえるだろう。

麩嘉では毎朝、生麩をつくる。麩はつくりおくことができないのだ。また、一般の客ではなく、料亭からの注文生産がメインであり、それぞれの店に合わせた麩をつくるため、一日につくる種類は30〜40種類にもなる。昔から変わらないベーシックなものもあれば、洋風化する日本の食生活にあわせて、イタリアンやフレンチに合う麩もつくられている。伝統は守るだけでなく、更新していかなくては意味がない。

麩は機械でつくることもできるが、麩嘉では撹拌などの一部の単純な作業以外は、いまもすべて職人の手でつくる。そのため、一日につくることのできる量には限りがある。手間やコストを省く方法はいくらでもあるが、麩嘉の家業は「商売ではなくものづくり」。できるだけ天然の素材を使い、自分たちでつくれるものはすべて手づくりする。そうやって、納得できるものをつくり続けることが麩嘉のポリシーである。

麩嘉の職人の数は20人ほどで、全員が茶道を習い、一期一会の精神を学んでいる。職人にとって麩は毎日大量につくるものだが、それを食す客にとってはただひとつの麩である。ただひとつの麩にすべての技術と心をこめる。そんな直向きな姿勢こそが、麩嘉が廃れることなく続いてきた理由だ。このような小規模ながら独自のものづくりを貫く商店が残っていることは、京都の素晴らしい魅力のひとつである。